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東京地方裁判所 平成元年(ワ)7183号 判決

原告

学校法人大東文化学園

被告

渡邊昌幸

右訴訟代理人弁護士

細田初男

島田浩孝

主文

一  被告は、原告に対し、金四二〇万円及びこれに対する昭和六三年七月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文、第一、第二項と同旨

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  原告は、その従業員である被告に対し、昭和五七年三月三一日に、同日限り解雇する旨の意思表示をしたところ、被告は、自己を債権者とし、原告を債務者として、当庁に地位保全等仮処分を申請し(昭和五七年(ヨ)第二二七三号)、当庁は昭和六一年一〇月一三日に、主文を「一 債務者は、債権者に対し金八五〇万円及び昭和六一年一〇月から本案の第一審判決の言渡しがあるまで毎月二五日限り金二〇万円を仮に支払え。二 債権者のその余の申請を却下する。三 申請費用は、これを二分し、それぞれを各自の負担とする」との判決(以下「本件仮処分判決」という)をした。

そこで、原告は、被告に対し、本件仮処分判決の第一項中の「債務者は、債権者に対し昭和六一年一〇月から本案の第一審判決の言渡しがあるまで毎月二五日限り金二〇万円を仮に支払え」という部分に基づき、昭和六一年一〇月から昭和六三年六月までの二一か月に亘り、毎月月額金二〇万円を支払い続け、その支払総額は合計金四二〇万円に達した(以下、右仮払金を「本件仮払金」という)。

2  他方、原告は、本件仮処分判決を不服として東京高等裁判所に控訴したところ(昭和六一年ネ第三〇二三号)、同裁判所は、昭和六三年七月二〇日に、主文を「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人の本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決をし、直ちに確定した。これに対し、被告は、最高裁判所に特別上告を申し立てたが(最高裁判所昭和六三年テ第二七号)、最高裁判所は、昭和六三年一一月一七日に、主文を「本件上告を棄却する。上告費用は上告人の負担とする」との判決をした。

3  被告は、原告に対し、平成二年一月二二日の本件口頭弁論期日において、被告が本件仮処分申請事件の本案訴訟(当庁昭和六三年(ワ)第一二〇三六号)で請求している被告の原告に対する昭和五七年四月一日から平成元年一二月三一日までの賃金債権(以下「本件自働債権」という)をもって、原告の被告に対する本件仮払金返還請求権(以下「本件受働債権」という)とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。なお、本件事実審口頭弁論の終結時に右本案訴訟がその第一審に係属中であった。

二  争点

1  賃金仮払処分の取消し判決を得た仮処分債務者が、右取消し手続とは別の訴えをもって仮払金の返還請求をすることができるか否か。

2  原告が本件仮払金の返還を請求することは権利の濫用となるか否か。

3  既に右本案訴訟で請求している賃金債権で相殺することができるか否か。

第三争点に対する判断

一  仮払金返還請求の可否

賃金の仮払を命ずる仮処分に基づいて、仮処分債権者が仮処分債務者から金員を受領した後に右仮処分が控訴審において取り消された場合には、仮処分債権者は、仮払金と対価的関係に立つ現実の就労をしたなどの特段の事情がない限り、仮処分債務者に対し、受領した仮払金につき返還義務を負うと解するのが相当である。そして、仮払金返還請求権は民事訴訟法一九八条二項の原状回復請求権に類し、賃金請求権の存否に関する実体的判断とはかかわりを有しないから、本案訴訟が別に係属中であっても、仮払金返還請求権の発生ないし行使の障害になるものではない(最判昭六三・三・一五民集四二・三・一七〇参照)。したがって、本件においても同様であるから、仮処分債務者たる原告は、仮処分債権者たる被告に対し、本件仮払金の返還請求をすることができる。なお、被告は右特段の事情について特に主張せず、また本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。

二  権利濫用の成否

被告は、原告が本件仮払金の返還を請求することは権利の濫用であると主張するが、その主張の内容は、ただ、原告が被告の窮状を十分知りながら本案訴訟を有利に解決するためになされたものであるとするだけで、その具体的な事実の主張立証をしない。したがって、被告の右主張は理由がない。

三  相殺の可否

本件受働債権である本件仮払金返還請求権は、仮払仮処分の取消しという訴訟法上の事実に基づいて発生し、前記のとおり、民事訴訟法一九八条二項の原状回復請求権に類するものであり、別訴で現に訴求中の本件自働債権をもってする被告の相殺の抗弁の提出を許容するべきものとすれば、右債権の存否につき審理が重複して訴訟上の不経済が生じ、本件受働債権の右性質をも没却することは避け難いばかりでなく、確定判決により本件自働債権の存否が判断されると、相殺をもって対抗した額の不存在につき同法一九九条二項による既判力を生じ、ひいては本件本案訴訟における判断と抵触して法的安定性を害する可能性も否定することはできず、重複起訴の禁止を定めた同法二三一条の法意に反することとなるし、他方、本件自働債権の性質及び右本案訴訟の経緯等に照らし、この債権の行使のため本案訴訟の追行に併せて本件訴訟での抗弁の提出をも許容しなければ被告にとって酷に失するともいえないことなどに鑑みると、被告において右相殺の抗弁を提出することは許されないものと解するのが相当である(最判昭六三・三・一五民集四二・三・一七〇参照)。

第四結論

したがって、被告は、原告に対し、民事訴訟法一九八条二項の原状回復請求権に類する権利に基づいて本件仮払金を返還する義務があるから、原告の本訴請求は理由がある。

(裁判官 酒井正史)

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